『初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。』 (創世記1:1-2)
創世記はヘブライ語で「べレシート」、初めに、という意味があります。この世界の起源について書かれているのがこの創世記です。1章1節にある通り、創造主なる神さまによって全てが始まったことがわかります。
地は形がなく、何もなく、深い水の上にやみがあるところから世界は始まりました。形がないとは、秩序がないことや混沌を意味します。その暗やみに、神さまはことばにより光をもたらされました。その光は、やみを一筋照らす程の光ではなく、おおっていたやみに、昼と夜という秩序を作り出すほどに偉大な光です。
天地創造の時だけでなく、暗やみや秩序がない状況はやってきます。この会堂が与えられるまでもそうでした。最初からこの物件が与えられたのではなく、候補が出ては消え去ることの繰り返しでした。全く形が見えなかったのです。しかし、この場所が不思議なタイミングで与えられ、驚くスピードでこの場所に導かれ礼拝を捧げています。
私たちは、問題がない光の中にいる時に、秩序がある状況の中にいる時に、主がおられることを覚え、そうでない場合には、神さまがおられないのではないかという恐れや不安にとらわれることがあります。
しかし、この天地創造の時を覚えるなら、暗やみの中、秩序がないところから、神さまは始められたのです。「神の霊は水の上を動いていた」とあるように、主はその中で働いておられ、たった一言ですべてのものを照らす光と秩序をもたらされました。これが天地創造の第一日です。
すべてを始められた神さまが、この世界の創造の計画を持っておられ、すべての主権が神さまにあります。何を最初に作るか、順序も、タイミングも、すべて神さまが決められます。
私たちも主に出会うまでは神から離れた者でした。しかし、すべてを造ることばであり、やみに打ち勝つ光である、御子イエスを、主が私たちに与えてくださいました。主イエスによって、光の中を歩む者と私たちは回復されたのです。
どんな暗やみも無秩序をも治め、光と秩序を与えてくださる主が共におられます。その恵みを深く受け取りましょう。今年一年も主の平安がみなさんと共にありますように。
『 わたしは光を造り出し、やみを創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを造る者。』(イザヤ45:7) (文責:朋子)