『こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。』(使徒9:31)
新会堂での礼拝の初めに、この素晴らしい会堂を与えてくださった主、イエス・キリストに感謝いたします。そして、新会堂のため祈りと献金で尽力くださった皆様に神様からの祝福が豊かにありますように。アーメン。
キリスト教は新宗教として、ユダヤ教の中から起こりました。世界の宗教は救いに対して、すべて律法主義であり、人本主儀であります。
それに対してキリスト教は、信じる者はだれでも救われる。と言うわけです。罪人でも救われるのです。これでは律法主義の人間はたまりません。
それでキリスト教徒に対し激しく迫害をしました。その張本人がパウロです。彼は、エルサレムだけでなく、国外にまで迫害の手を広げました。しかし、その時イエス・キリストにお会いして、真理を知り、悔い改めてキリスト教の宣教者となったのです。
パウロは異邦人伝道をはじめ、最後に当時世界の首都ローマで軟禁されながら宣教を行い、世界をキリスト教国に変えていきました。
しかし、この宣教の力は、神様を第一とする生活と、聖霊様と共に働くことによるのです。それでパウロは「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。」(Ⅰコリ2:4)と告げています。
クリスチャン親和会は聖霊のバプテスマを宣教の主体として来ましたが、日本のキリスト教会は、聖霊のバプテスマを認めてきました。次は、イエス様の福音宣教が主体となります。
パウロは一世代でローマ帝国の屋台骨を揺るがしました。
親和会もパウロを見倣い、福音伝道を始めます。問題は教会員の心の一致です。これは教会間でも同じです。多くの教団教派がありますが、互いに認めて、助け合い、支えあって行きしょう。心の一致がない所に神様は働けないからです。イエス様を信じるすべての人と仲良くしましょう。そして地の塩、世の光としての役割を果たそうではありませんか。ハレルヤ。
『私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。』(ピリピ2:2―3)