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執筆者の写真クリスチャン親和会

聖日礼拝メッセージ(2019/12/8)


『すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。』 (ヨハネ1:9)

 12月に入り、イエスさまのご降誕を待ち望むアドベントとなりました。私たちが待ち望んでいるイエスさまは、すべての暗闇を照らして下さるまことの光です。

 光は暗闇を明るくしたり、照らすことで人の顔や物を美しく見せたり、人の心を華やかにしてくれます。灯台は光を放つ建造物です。その目的は、一つは、船から自分の位置を確認するため。もう一つは、船が入る港の位置や入口を示すためだと言われています。レーダー探知機などがない時代には、暗い中で航海をする人々を港に導く希望や平安の光として、今以上に輝いて映ったことでしょう。

 イエスさまは、私たちを暗闇から救い、光の中を歩む人生に変えてくださるお方です。けれども、人を照らすとは、人を輝かせるという意味でしょうか。

 バプテスマのヨハネは、母エリザベツの胎にいるときから、イエスさまがどなたか悟っていました。そして、人々を悔い改めに導く偉大な働きをしました。しかし、自分はイエスさまの靴紐を解く値打ちもないとヨハネは語り、自分が光となり輝くためでなく、イエス・キリストを証し続けたのです。

 神さまの働きをするとき、神さまの栄光を体験します。癒しや奇跡、成功の体験も与えられるでしょう。けれども、その光は私たち人間を、美しく華やかに見せるためではありません。

 主題聖句の「照らす」という言葉には、「導く」という意味もあります。人々がいる暗闇を照らし、いのちの道を示し、その道に入ることができるように導いておられるのが、まことの光であるイエス・キリストです。輝くのは主ご自身です。

 灯台はそれ自身を美しく見せるために輝いてはいません。置かれた場所に存在し、灯された光を放ち続け、人々を導いています。自分自身が華やかな奇跡や大きな働きができない小さいものであっても、内に灯されているイエスさまの光が、主ご自身によって放たれます。

 イエス・キリストにより、私たちはいのちの光を与えられ、やみの中を歩むことがありません。私たちを永遠のいのちに導かれた光を受け取り続けましょう。まことの光である主ご自身が、私たちを通して光を放ち、暗闇を照らしてくださいます。

『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』(ヨハネ14:6)       (文責:朋子)


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