『神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」』(創世記22:2)
今日はこども祝福式です。子育てをされている皆さまの尊い働きに感謝すると共に、お子さまの健やかな成長を心よりお祈りします。この聖句は、アブラハムが神さまに従い、ひとり子イサクをいけにえとして捧げようとした場面です。アブラハムは素晴らしい信仰の持ち主でしたが、自分の親だとするとイサクのように従えるかと考えさせられます。
イサクは、父アブラハムに従いました。人の計画によってではなく、神さまの約束によって自分が生まれたとイサクは理解していました。イサクを授かる前のアブラムとサラは、老いた二人に子どもは不可能だと思い、信じられないサラは笑いました。しかし、主は二人を見捨てることなく、「主に不可能なことがあろうか」と語り、約束を成就されたのです。
神さまの計画の中を歩むなら、主の約束の成就を見るとイサクは両親から学びました。人間の理論では信じられないことも、可能とされる方が、父・自分・やがて与えられる子孫の神であることをイサクは悟っていました。そうでなければ、いけにえを捧げる祭壇の上にまでイサクは従うことができたでしょうか。
子どもたちは、自分自身が成長するにつれ、大人の足りなさも見えるかもしれません。アブラハムとサラも完全ではありませんでした。しかし、神さまは人の弱さを覆い、人の理解を超えて祝福してくださる方です。今ある不足を責めるのでなく、主だけを信頼して共に礼拝するなら、アブラハムとイサクに雄羊が与えられたように、主によって全てが満たされることを知るでしょう。
また、ユダヤ教では、シャローム・バイト「平和な家」という家庭観を重視します。争いのない平和な家庭のことです。子どもたちに手を置き、祝福と恵み、平安を祈って安息日を迎えます。
私たちクリスチャンは、キリストによってアブラハム契約に入れられています。そのキリストこそ十字架で完全な平和を成就された方です。私たちも主が与えてくださっている祝福の約束を信じ、キリストの平和を求めるなら、その家庭と子どもたち、また神の家族が集まる教会と神の子どもたちはますます祝福されていくでしょう。
『あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。』(ヨハネ13:34)(文責:朋子)