『心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。』(マタイ5:3)
聖書は、幸いな人が野に行くと野が祝福され、家に入れば家が祝福されると言っています。
イエス様は、このような人が幸いな人であると言われました。その第一が、「心の貧しい人です。」しかし、いま、多くの人が、自分が貧しい者であることを悟っていません。自分が死に至る病にかかっていることを知らないのです。
それで、私はこんなに物質的に豊かです。と言うかもしれません。しかし、黙示録3:17では、このような人に向かって、警告しています。「あなたは自分が富んでいる。豊かになった。乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しく、盲目であることを知らない。」
今日、イエス様が言っておられる、心の貧しい人は、自分の内的生活の乏しさを悟っている人のことです。現在、人々は、家や車、テレビなど、文明の利器を持っていて、一見幸福そうに見えます。しかし、その心の奥を見ますと、何の確信もなく、生きる意味も目的も分からず。平安も喜びもなく、ただうわべだけの人生を営んでいるのです。
このことを、神様の前に出て、悟る人が心の貧しい人です。そして、このような「心の貧しい人が幸いである。」と、イエス様は言われました。
この心の貧しさを知る人は、この世の富や名誉などによって心の渇きを満たすことができないことを知っています。そして、イエス・キリストだけが、その心の渇きを、満たしてくださる方であることを知り。イエス様を心に迎え入れるのです。すると、イエス様と共に、神の国が、義と平和と聖霊による喜びをもって、心に臨みます。
聖霊様は、神様が愛する人々に備えてくださっているものを、悟らせてくだいます。その時、ダビデが詩編23:1で歌ったように、「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」と告白する心の豊かな人に変えられていきます。
心の貧しい人とは、神様の前で自分を捨て、神様に全面的に信頼する人です。このような人が、幸いな人と言われるのです。
『しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。』(Ⅱコリント12:9)