『神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。』 (ヘブル4:12)
今日は、「神様を恐れ、神様の命令を守れ。」がテーマです。聖句の「神のことばは生きていて、」のことばは、ヘブル3章7節~4章11節のことばを言っています。イスラエルの民は、エジプトの奴隷から解放されましたが、みな荒野で死に絶えてしまい、目的地カナンに入ったのは彼らの子孫でした。
いま、私たちは、この世の君である悪魔から解放されて自由の身となっています。しかし、イスラエルの民のように途中で挫折することのないようにとの警告です。
では、どのようにすれば神の御国に入れるのでしょう。ここで問題となるのは、「関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、」のみことばです。骨髄は人間の一番深い所に存在します。それは私たちの心の中心を言っています。
私たちは、その心の中心で思っていることを言葉として出しているのです。それは関節のように、私たちの心の思いに付き従って、口から出てきます。
聖書は「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。」(創世記1:26)と告げています。この、かたちとは人が言葉を語ることです。言葉は、心の見えない世界から出てきて、目に見える世界を造るのです。これは信者であっても、未信者であっても同じです。
聖書は「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言4:23)と告げていますが、私たちが、聖書のみことばを、心に記し、ことばとして口から出すならば、それは、いのちの泉となって、自分を生かし、イスラエルの民のように、途中で挫折することはありません。
私たちクリスチャンも、目で見たこと、また、科学的に信じたことを、みことばより高くしやすいものです。これからは、神様のみことばを第一として高く信じましょう。そうすれば、神様がエレミヤに告げた「もし、あなたが、卑しいことではなく、尊いことを言うなら、あなたはわたしの口のようになる。」(エレミヤ15:19)のみことばは、あなたのものとなります。みことばはいのちであり、私たちの力です。ハレルヤ。
『人はその口の結ぶ実によって腹を満たし、そのくちびるによる収穫に満たされる。死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。』(箴言18:20-21)