『わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。』(詩103:1)
神様は聖徒の賛美の中に座し、臨在してくださいます。それで、聖徒の賛美は、神様を迎える御座となります。それゆえ、私たちは常に賛美をします。神様は喜んで私たちの賛美を受けられ、祈りに耳を傾けてくださいます。
神様を賛美することは私たちの力です。信仰の力が弱くなったとき、神様を賛美するならば、信仰が強められます。それで、悪魔は私たちの賛美を恐れています。
私たちは、栄光を神様に返す賛美、神様に感謝する賛美、自然に対する賛美、イエス・キリストの血潮に対する賛美、福音に対する賛美、神様のみことばに対する賛美をします。
不平は悪魔を賛美することになります。悪魔は不平を通して人々を支配し、盗み、殺し、滅ぼすのです。不平の雰囲気は、即、墓場の雰囲気だと言えます。
しかし、賛美の雰囲気は、天国の雰囲気です。パウロとシラスが牢獄の中で賛美をすると、絶望を象徴する獄門が開きました。また、戦力的に圧倒的不利な、ヨシャパテ王と民衆が賛美を捧げた時、敵は同士討ちをして滅びました。イエス様も十字架を前にして、賛美しながらオリーブ山に上り祈られ、十字架の上で勝利されました。
人々が不平をつぶやこうと思えば、いくらでも不平を見付けることができます。しかし、感謝することを見付けようと思えば、また、感謝することも本当に沢山あります。私たちは決心して感謝することを見つけ出し、感謝しなければなりません。
神様の前で賛美し、感謝し、また隣人に感謝するのです。その時、その賛美と感謝を通して、暗黒から光へ、絶望から希望へ、憂鬱から快活へ、信仰、希望、愛に満ちた状態へと私たちの心が変えられていくのです。
このようにして、私たちの心が肯定的な態度になると、私たちは正しく判断することができ、聖霊様の導きを受け、すべての点で恵まれ、健康になります。聖書に、「感謝のいけにえを捧げる人は、わたしをあがめよう。その道を正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう。」(詩50:23)とありますが、神様は、私たちの感謝、賛美を受け、悪魔との戦いに、勝利するように祝福し、希望を与えてくださいます。ハレルヤ。
『しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。』(詩71:14)