『しかし、祭司、レビ人、一族のかしらたちのうち、最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、彼らの目の前でこの宮の基が据えられたとき、大声をあげて泣いた。一方、ほかの多くの人々は喜びにあふれて声を張り上げた。そのため、だれも喜びの叫び声と民の泣き声とを区別することができなかった。民が大声をあげて喜び叫んだので、その声は遠い所まで聞こえた。』(エズラ3:12-13)
第二神殿の再建にあたり、神殿の基が完成しました。民の反応は二つに別れました。一方は喜びにあふれて叫び、一方は泣いていました。前の神殿との比較、民が主に背いた罪への悔い、捕囚から戻った現実を見た嘆きだったのかもしれません。
けれども、神さまは民を見捨てられませんでした。基の完成後、18年間工事が中断されましたが、神さまは指導者、預言者を用いて民を励まされました。工事の再開時も『まるで無いに等しい』(ハガイ2:3)と、この新しい神殿を捉える者たちはいたかもしれません。
しかし、主は強くあれ、仕事にとりかかれ、恐れるな、わたしの霊があなた方の間で働いている、『この宮のこれから後の栄光は、先のものよりまさろう。』(ハガイ2:9)と励まし続けてくださり、神殿は完成されていきました。
十字架にかかり私たちの罪を贖い、三日目によみがえられたイエス・キリストにより、私たちは新しくされました。神であるのに人の姿をとり、へりくだってこの地に来られたイエスさまは信じない者にはつまずきの石でした。しかし、信じる私たちには揺るがない土台であり、信頼できる、決して失望させられないお方です。
嘆きたくなる時、天を見る力がなくても、あなたの足元をみてください。主が支えてくださっていることに気づくでしょう。私たちはキリストによりイスラエルに接ぎ木されています。契約の民、イスラエルの国民を決して見捨てられず、回復し続けてくださった主が、私たちと共におられるのです。
そして、あなたの困難や問題を回復してくださり、神の国の証として用いてくださるでしょう。お一人お一人の教会への愛に感謝します。この教会においても、先のものにまさる栄光を主が現してくださり、神の国がこの教会に現れているという素晴らしい証がなされることを期待します。
『しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。』(Ⅰペテロ2:9) (文責:朋子)