『イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」』(ヨハネ6:26-27)
五つのパンと二匹の魚で人々を満腹させた奇跡の後、イエスさまを王にしようと民が追ってきました。しかし、人の心を見られる主は、彼らの願いの本質を見抜いておられたのです。
私たちの主は、私たちの祈りを聞いて下さる方です。なぜなら、私たちのことを心から愛しておられるからです。その愛は私たちが完全だから与えられるのでなく、不完全な面、罪や傷があっても変わりません。しかし、愛しているからこそ、私たちが自分の傷、病、罪に苦しんでいることを主は憐れみ、癒したいと願い、救いの手を伸ばして下さるのです。
そして、何よりもアダムの罪によって神さまと人間の関係が離れたことを悲しまれました。だからこそ、神さまはイエスさまを地に送られました。イエスさまは十字架でいのちである血を流し、私たちのすべての罪の代価を支払って下さったのです。
人はパン、つまり毎日食べるご飯により生かされていると思いますが、食べても死は必ずきます。けれども、イエスさまを救い主であると信じることで新しいいのちを与えられ、永遠に生きるのです。イエスさまこそ、すべてを創造された神さまが私たちのために天から送ってくださった、いのちのパンです。
光があるところを神さまは夜と区別し、朝が造られました。イエスさまを人生にお迎えするなら、そこに光が差し込み、朝がきます。今の状況が乾いた荒野のようでも、解決できないような問題がある暗闇の中のようでも、神さまが与えられたイエス・キリストにより、毎日いのちを養われ、希望を与えられ、救われるのです。
聖書のみことばには、変わらない主の愛が溢れています。神のことばであるイエスさまが変わることなく生きておられるのです。全てのいのちの源である天の父が私たちに「生きよ」と与えて下さいました。朽ちない食物である輝く神のことばを日々食し、救い主イエスさまによって永遠に生かされる人生を生きましょう。
『わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。』(ヨハネ6:51)
(文責:朋子)