『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』(ヨハネ3:16)
今日は「救いは神様による」のテーマです。
マタイの福音書19章16-22節の若き富める役人の話を聞いて渋い顔をする人がいます。イエス様に従うためには、少なくとも持ち物をみな売り払って、貧しい人たちに分け与えなければならない。そうしなければ永遠のいのちは得ることができないと考えるのです。
それならば、天国に行く人は一人もいません。なぜなら天国は行いによって得られるものではないからです。それゆえ、この話をそのように理解することは間違いです。
この若い金持ちの役人がイエス様にした質問が間違っていたのです。質問自体が、イエス様の福音を否定するものでした。わざは神様のものであり、私たちには信じる義務だけです。
ロマ書3章20節には、律法の行いのよって救いを得ることはできないと書かれています。ところがこの青年は律法の行いによって救いを得ようとしていたのです。
この青年は、律法の戒めのすべてを守ったと言いました。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」とイエス様に質問しています。
イエス様はその青年の愚かさを見られたのです。行いによって救われようとする高慢を砕かれるため、「あなたの持ち物を売り払って貧しい人に与えなさい。」と言われました。すると青年は悲しんで去って行ったのです。最後まで自分の行いによって救われると信じて去って行きました。
もし青年が「主よ。私にはできません。しかし、永遠のいのちは得たいのです。どうすればよいでしょうか。」とイエス様の足元にひざまずいたなら、イエス様は確かに永遠のいのちの道を教えてくださったでしょう。
使徒の働き4章12節に、「この方以外には誰によっても救いはありません。世界中でこの御名の他には、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」とあります。私たちが救われるためには、ただ信じさえすれば良いのです。信じて永遠のいのちを得て後は聖霊様が、私たちの行いのすべてを導いてくださいます。ハレルヤ。
『なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。』と書いてあるとおりです。』(ロマ1:17)