『心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。』 (箴言3:5-6)
今日はテーマを「神様を資源として」とします。
神様を信じる人も信じない人も、みな人生の障害物を乗り越えて行かなければなりません。しかし、信じる人と信じない人は障害物を超える態度が全く違っています。
今から36年前、経済的理由から、肉体労働をしていました。その時長男が、ホンダのBM5の赤色を欲しいと言って来たのです。私が聞いたことのない車種であり、お金もありません。しかし、祈ることはできます。私は長男の前で、「赤色のBM5を一台ください。」と祈りました。
それから1ケ月程して、長男の従兄が赤色のBM5に乗って、自慢をして帰っていき、長男は心からうらやましがっていました。私は長男を呼んで、「あの単車は、あなたのですよ。」と告げたのです。長男は「あれは従兄のものであって、私のものではない。」と答え、全くその通りです。しかし、私はすぐに電話をしなさい。と命じ結果を待ちました。
単車は従兄の先輩が、250㏄の単車を買ったので乗らないからと言ってくれたのですが、自分も6ケ月前に、父に願い、スクーターを買ってもらっていて、単車の置き場に困っていたのです。それですぐ喜んで届けてくれました。祈った通りに単車が手に入りました。ですからすべてが、このようにうまくいくかと言えばそうではありません。
私は相変わらず、生活のため肉体労働で汗を流しているのです。しかし苦しみの中にあっても、この単車の一件を思う時、全能者を恐れずにはいられません。全能の神様は、私のすべてを知って、守り、導いてくださっています。
1990年に仕事を止めて、牧会に専念するようにと命じられ、人間的計算では不可能に思えました。しかし、今日に至るまで一度もアルバイトをしたことはありません。確かに神様は信じる者を守られます。もし、神様がいなければ、この世界の物事は、みな、意味のないものとなります。歩むすべての道に神様を認めましょう。神様は信じる者の道をまっすぐにしてくださいます。ハレルヤ。
『悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。』(Ⅱコリント6:10)