『見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。』(イザヤ49:19)
今年は雨が少なく新城の宇連ダムが貯水率ゼロになったとニュースになっていました。雨が降り、45%くらいまで回復(2019.5.24現在)したようですが、心配になりますね。
私たちが現状を理解するとき、経験したことと比較します。ダムの貯水率や降水量も過去のデータと比較して、今の立ち位置を知る。それが普通の人間の理解の仕方です。
しかし、神さまは、『先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。(イザヤ43:18)』 と語っておられます。イザヤの時代、王たちは慣習に従って生きていました。神さまに礼拝をしますが、偶像を取り除かず、拝んでさえいました。先代から続くことだと容認したのでしょう。主だけを恐れなければならないと言われた、神さまの祝福の計画とは違うものです。
創造主なる神さまは、人が作った、耳も聞こえず、目も見えず、口もきけず、語れない、虚しさを覚えさせる偶像とは全く違います。人の理解を超えたことを創り出されるお方です。人が耕したことのない荒野に、道を設け、砂漠のような枯れた荒地に大河を設けることができる方が私たちの主です。
神さまは、全てのものが救われる唯一の道として、乾いたこの地に、生ける神の子イエス・キリストを地に送り、十字架の贖いを成してくださいました。誰が想像できた方法でしょう。
初めに話した、宇連のダムは乾いたとしても川から水を取り、生活用水を得るそうです。たとえ私たちが何も持っていなくとも、主に委ねるなら、主が私たちを生かされます。そして、あなたの内におられる聖霊さまが、絶えることのない水を、まだ主を知らない人の心にあなたを通して流されます。その人がイエスを知り、生きるためです。
目に見える状況や経験に頼ることなく、新しいことをしてくださる主に期待しましょう。そして、主の素晴らしさを語り、力としるしによって、また私たちの生き様を通して、人々に証をしていきましょう。主はこの乾いた日本に、世界に、イスラエルに、いのちの水をあなたを通して流されます。
『その日、あなたがたは言う。「主に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。シオンに住む者。大声をあげて、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたの中におられる、大いなる方。」』(詩篇12:4-6) (文責:朋子)