『あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。』(創世記3:5)
今日は、罪の原点についてです。聖書は、旧約聖書と新約聖書からなっています。読んで字のごとく、これは、神様と人の契約に基づいて記してあります。
最初の人アダムに神様は命じて仰せられました。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:16-17)
これが、神様が人と結んだ最初の契約です。しかし、アダムは聖句にあるサタンの惑わしに負け、善悪の知識の木の実を取って食べました。これによって、アダムは、神様との契約を破りました。これが人間の罪の原点となっています。
ここで問題になることは、神様は、「それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」と宣言されているのに、現実には生きていることです。
これは、2章7節で「…その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」とあります。そのいのちの息が、アダムから出て行ったことを言っているのです。」このいのちの息は、聖霊であり、人を神の姿にする基本でした。
聖書は、「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。」(創世記1:27)そして、「地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」と仰っています。
しかし、いのちの息、神様の霊が離れてしまったアダムには、もはや地を従える力はありません。そればかりか、自分の感情や情動を支配することもできないのです。
この時を境として、人は神様の姿を失いました。その一番の変化は人の思想です。地を従え、万物を支配し、宇宙すら経営する者から、食べる物、着る物、お金、地位、名誉、を拝する者となりました。
聖人パウロは言います。「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれが、この死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。…」(ロマ7:24-25)ハレルヤ。アーメン。
『そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」(ヨハネ20:22-23)