『すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。』(エペソ1:4)
聖句は続けて、「神は、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。」と告げています。
私たちは地球の造られる前から、神様に選ばれていたことになります。そのために、地球は人間の住むためのものとして造られています。
今日の聖句を見る限り、私たちは汚れた者であり、傷だらけの者であります。どのようにして、キリストは私たちを聖くすることができるのでしょうか。
その一番は、私たちの自我は、生まれた時から神様に敵対しているのです。神様との平和がなければ、私たちに救いはありません。そのためにイエス様は来てくださいました。
聖書は、「罪からくる報酬は死です。」と告げていますが、罪なきイエス様が、私たちの罪の身代りとなり、十字架の死によって、神様と 和解させてくださいました。
イエス様は、「わたしを見た者は、父を見たのです。」と言われました。そして、「わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたがたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。」と仰いました。
私たちもイエス様と一体となり、「私を見た者は、イエス・キリストを見たのです。」と言える者になりましょう。そのため、日々自分の十字架を負って、イエス様に従い、みことばに反する自我を十字架につけ、キリストの栄光を輝やかせましょう。
イエス様は十字架の血によって私たちをあらいきよめてくださり、神様の御前で聖く、傷のない者にしてくださいます。
なぜなら、神様は、私たちをイエス様と同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、イエス様が私たちの長子となられるためです。ハレルヤ。
『また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』(マタイ28:20)