『そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送ったと事を成功させる。』(イザヤ55:11)
今日は信仰についてです。聖書は「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ロマ10:17)と定義しています。知ることがなければ、信じることもありません。これは当然のことです。
今日は信仰の父、アブラハムから学びましょう。
第一番「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(創世記15:6)とあります。アブラハムは理性や常識と関係なくただ単純に神様のみことばを信じただけです。
しかし、信じただけの信仰は患難が来れば崩れます。それで、
第二番「そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」(創世記15:5)と見る信仰を教えました。
人は、常識や理性に反することも、見れば信じられるのです。しかし、まだ意識は変わりません。それでは山を動かすほどの信仰は、どうすれば得られるのでしょう。
第三番「あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。」(創世記17:5)とあります。アブラムの名前は、「高貴な父」との意味です。それをアブラハム「多くの国民の父」と改名しました。
アブラハムは、その日から一日に何度も「多くの国民のお父様。」と呼ばれ、また、「多くの国民の父です。」と応えることになりました。聖書に「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ロマ10:10)とあります。
アブラハムの信仰告白は現実となり、今イスラエルの神を信じる人々は天の星の如くなり、アブラハムは、その人々の父となっています。また、「わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。」(創世記13:15)と約束された、イスラエルの地は、紀元70年ローマによって滅ぼされ、1948年5月15日再び建国されました。神様の約束は永遠に変わりません。ハレルヤ。
『さて、私たちのためには、もろもろの天を通られたれた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。』(ヘブル4:15)