『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。』 (使徒2:17)
イエス様の十字架の後、復活されたイエス様の約束を信じて待っていた、120名の信徒の群れに聖霊様が下り、彼らが異言を語り預言を告げるのを見て、人々は困惑し、彼らは酒に酔っているのだと思いました。しかし、ペテロは、預言者ヨエルによって語られた言葉が、今ここに成ったと告げたのです。
イエス様の十字架の前までは、預言者や王だけに聖霊様は臨んでいました。そして、用事が済めば、聖霊様は離れて行ったのです。しかし、イエス様の十字架の後は、イエス様を信じるすべての人に聖霊様は下り、もう離れないのです。
このことは、イエス様が私たちの罪の身代わりとして死んでくださったことの証明です。イエス様を信じる者はだれでも罪許され、罪のない者として神様の霊が一緒にいてくださるのです。誠にこれがインマヌエルです。
神様は愛です。それで、すべての人が救われることを願っています。神様がイスラエルを選ばれたのは、イスラエルを救うためだけではありません。イスラエルによって全世界を救うためです。
ペテロによって、今日の聖句が語られてから、2千年たっていますが、「わたしの霊をすべての人に注ぐ。」とのみことばは成っていません。この日本では一部の人だけです。
しかし、今が終わりの時であれば、私たちは「求めよ。そうすれば与えられる。」と告げるみことばの前に、熱心に求めましょう。そして、日本人すべてが聖霊様に満たされて、真理を知ることができるように祈りましょう。神様は必ず聖霊様を注いでくださいます。
その時「老人は夢を見る。」とあります。老人には夢どころか、希望のない世界となっています。しかし、聖霊様が注がれると、常識に縛られていた心が解き放たれて、夢を見るのです。夢とは未来に対する計画です。老人は神様が与えてくださる計画を知るのです。それは、私たちに将来と希望を与えるためのものです。ハレルヤ。アーメン。
『そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰ってはこない。必ず、わたしの望むことを成し遂げ、わたしの言い送ったことを成功させる。』 (イザヤ55:11)