『彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」』(ルカ1:38)
イエスさまは復活後にガリラヤ湖で愛する弟子たちに再び会われ、ペテロに特別な召しを語られました。ペテロは愛情深い人でしたが、「イエスさまを知らない」と言ってしまったように、波がありました。
しかし、イエスさまが十字架で一度死に、三日後に復活されたことをペテロは体験し、イエスさまこそキリストだと心から理解しました。そして、自分を主張するのではなく、イエスさまの前にへり下り、「あなたがご存じです。」と答えたのです。
そのペテロに「わたしの小羊を飼いなさい。」と主は言われました。イエスさまを信じる者の群れを牧する、つまり民を愛し、養い、導くということです。なぜイエスさまはご自分を裏切ったペテロに、愛する民をお任せになったのでしょう。
イエスさまは復活度、弟子たちに再開されたときに、彼らに息を吹きかけられ、聖霊を受けなさい、と言われました(ヨハネ20:22)。永遠に変わることなく、ペテロを導かれる霊が、彼にあると主はご存知でした。ですから、主はペテロにできるとお任せになりました。
今年は、神は愛です。という御言葉が与えられました。ひとり子を与えるほど私たちを愛して下さる神さま、ご自分のいのちを十字架でささげるほど私たちを愛して下さるイエスさま、そのお方の霊が、主を信じる私たちの内に住んでおられます。
人を愛するということは、時に苦しく思えます。しかし、愛さないことも苦しいのです。ペテロも主を知らないと言ったことに苦しみましたが、愛なる主の霊が、私たちの内に働かれることを知らないことにするとは、どれほど辛いことでしょう。
イエスさまは、あなたの内にどれほどの愛が生きて働いておられるかご存知です。もし、ペテロのようにイエスさまに全てを明け渡し、へり下って従うなら、必要な全てを悟らせる聖霊さま(ヨハネ16:13)が、愛の道を歩くものと私たちをますます整えてくださいます。お互いに励まし、助け合い、その愛の道を一緒に歩んで参りましょう。
『神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、』
(イザヤ61:1) (文責:朋子)