『マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。』(ルカ1:38)
受胎告知に対するマリヤの返答です。マリヤは御使いから聖霊によって身ごもったことを聞いたとき、戸惑いはしましたがこのようにへりくだって応答したのです。
マリヤはなぜ応答できたのでしょうか。「神にとって不可能なことは一つもありません。」と37節にあります。「こと」というのはギリシア語の「レーマ」で「神さまが語られたことば」を意味し、マリヤに対して語られた言葉は必ず成就するのだと御使いは語っているのです。
自分と同じように神さまから語られ、「年をとって」子を身ごもった親類のエリザベツのストーリーも、マリヤの確信を強めたでしょう。その圧倒的な神さまの計画の前に、マリヤはひれ伏したのです。
シェバの女王はソロモンに「なんとしあわせなことでしょう。あなたにつく人たちは。なんとしあわせなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことのできるこの、あなたの家来たちは。(2歴代9:7」と語りました。
私たちはそのソロモンに栄華を与えられた神さまのしもべです。そして、イエスさまの贖いによって、神様の前に立って、その声を聞く特権を与えられています。
神さまはイエスさまをこの地に送ってくださいましたが、それは神さまが世を愛しておられ、御子を信じるすべてのものが滅びることなく永遠のいのちをもつためです。
そして、そのご計画のために私たち一人一人を用いたいと願っておられます。私たちはなんでも願い、祈ることができますが、静まって神さまが私たち一人一人に願っておられることを聞く、「しあわせな」特権を使っているでしょうか。
もしかしたら、マリヤのように人生を左右するような決断や自分の思い描く理想とは違ったチャレンジが与えられるかもしれません。しかしながら、聖書を読み、証を聞くことで、私たちの神さまに対する信頼は強められるでしょう。
そして、主に信頼し「ご覧ください。私は聞くものです。用いてください。」とマリヤのように答えるなら、神さまはそのお言葉の成就をも見させてくださいます。お一人お一人に対するご計画を神さまが語ってくださり、ますます祝福のうちに用いられますようにお祈りしています。
『主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」』(ルカ1:45)(文責:朋子)