『イエスが町の門に近づかれると、やもめとなった母親のひとり息子が、死んでかつぎ出されるところであった。町の人たちが大ぜいその母親に付き添っていた。主はその母親を見てかわいそうに思い、「泣かなくてもよい。」と言われた。そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいた人たちが立ち止まったので、「青年よ。あなたに言う、起きなさい。」と言われた。すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親に返された。』(マタイ7:12-16)
よみがえりと言えば、死んで4日目に生き返ったベタニヤのラザロが知られていますが、今日はナインの町の出来事です。
母子二人の生活で、息子の死に出会えば、母親は希望を失い絶望のどん底に陥ったでしょう。イエス様はその母親の苦しみを身に負われ、「泣かなくてもよい。」と言われ、そればかりか、死人を生き返らされました。そしてこの話はユダヤ全土と回りの地方一帯に広まった。とあります。
しかし、聖書から今日これを学ぶ私たちにとって、どれだけの臨在感があるかと言えば、2千年前の話になるのです。
私たちは日本の霊的リバイバルを求めています。この話が今日本で起こったならば、一日のうちに日本中に知れ渡り、日本は霊的覚醒をするでしょう。
しかし、10月30日にWRCの村田雅春師が東京で癒しの聖会を催し、そこに3cm腿骨が短い女性が、大阪から参加し、癒されました。彼女は腿骨の短いのが原因となって、腰や膝が痛くて苦しんでいましたがみな癒されました。
彼女を聖会に案内した整体師の方は、腰や膝の痛いのは整体でも治ることはあります。しかし、短くなった骨が伸びることはありません。と証しされました。
そして、癒しの聖会には多く行きましたが、奇跡を見たことはありませんでした。今日この事実を見たことによって、私の信仰は揺るぎのないものになりました。と話されました。
日本のリバイバルに必要なことは、神様の臨在であり、また、みわざです。それによって聖書は神のことばである確かな証明となります。イエス様は共に働く者を求めています。大胆に癒しを行いましょう。主はみことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとしてくださいます。ハレルヤ。アーメン。
『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」』(マルコ16:15)