『この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間には与えられていないからです。』 (使徒4:12)
昨年は、宗教改革500年記念のイベントがありましたが、今日は宗教改革記年礼拝として礼拝を守ります。記念日は10月31日となっています。
ことの始めは、ローマ法王がサン・ピエトロ聖堂新築の資金を得るためドイツで販売させた免罪符に対するものでした。それは、免罪符を買えば罪が赦されて救われるというものです。これが評判になり、飛ぶように売れました。
それで、マルチン・ルターが1517年10月31日にウィッテンベルグ城教会の門扉に、95ケ条の抗議文を掲示したことが、プロテスタントの始まりとなったからです。プロテスタントは、抗議するという意味です。それは、聖職者がキリスト教をお金儲けの道具としたことに対する聖なる抗議でした。
時を同じくして、ヨーロッパ各地で宗教改革が起き、特にカルバンの宗教改革が、ルターの宗教改革を助けました。宗教が腐敗してくるとき、自浄作用が働き結果として分派しました。それはルターもカルバンもカトリックの出身だったからです。
プロテスタントの特徴は聖書のみことばだけが、唯一の指針であることです。かつて聖書は、聖職者だけのものでしたが、1445年にグーテンベルクによって活版印刷が発明され、聖書は民衆のものとなりました。
すべての人が聖書を学ぶことができ、真理を知ることができるのです。イエス様が信じたユダヤ人に、「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」と告げています。
いま私たちは、宗教改革の基本である、イエス・キリストの十字架による以外、私たちに救いがないことを知っています。いま、この信仰の上に堅くとどまりましょう。
その時、私たちはイエス様による救いの真理を知ることができ、自由を体験することができます。ハレルヤ。
『キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。』(ガラテヤ3:13)