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執筆者の写真クリスチャン親和会

聖日礼拝メッセージ(2018/9/23)


『イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイと言う人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。』(マタイ9:9)

 今日の聖句は、使徒マタイがイエス様に初めてお会いした時の状況からです。ローマのために税金を集める収税人は、罪びとの仕事と決められていました。しかし、イエス様はその罪人に、従ってくるように声をかけたのです。

 この同じ所をマルコとルカは、マタイではなくレビと記しています。レビがマタイの本名でしょう。しかしマタイは自分で名前をレビからマタイに変えたと思われます。マタイは神様の贈り物と言う意味だからです。マタイの喜びが現れています。

 10節で「イエスが家で食事の席についておられるとき、見よ、取税人や罪びとが大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。」とあります。この家はマタイの家と思われます。彼の喜びは、救いから除外されていた罪人に対して伝道する力となりました。

 しかしこれにパリサイ人たちは驚いたのです。すぐイエス様の弟子たちに、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」と聞いています。

 イエス様は「医者を必要とするのは丈夫なものではなく、病人です。『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んできなさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪びとを招くために来たのです。」と言われました。このイエス様の宣言が福音です。

 自分は正しいと自認し、他人を裁くパリサイ人に、羊や牛のいけにえより、神様の愛と憐れみを学んできなさい。とのことです。そして、イエス様はご自身の使命を宣言されました。それは「罪びとを招くために来たのです。」のみことばです。

 パウロは弟子のテモテに「キリスト・イエスは、罪びとを救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。と告白しています。

 パウロはパリサイ人であり、自分の信念に従いステパノを石打で殺しています。しかし、それが殺人だったと知ったのです。イエス様の前に「お救いください。」と言える人は幸いです。

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』(ヨハネ3:16)


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