『なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちにちに閉じ込められたからです。』(ローマ 11:32)
今日は、ローマ11章からです。この章は置換神学の基本になっている章です。ユダヤ人はイエス・キリストを十字架につけるように要求し、「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」と宣言しました。そしてそのとおり、紀元70年にローマ帝国に滅ぼされて、1948年までイスラエル
国家はこの地上にはありませんでした。
それで、聖書学者は、神様の約束はイスラエルからキリスト教会へ移された。と考えたのです。それが置換神学として今日まで来ているのです。
しかし、イスラエル国家は1948年に初代首相ベン・グリオンにより建国宣言がされました。聖書学者は大いに恥をかきましたが、置換神学は今も独り歩きをしています。神様の約束は、「神の賜物と召命とは変わることがありません。」とあるとおりです。今、イスラエル人が神様の福音に気付き、神様に帰るならば、神の子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。
しかし、彼らは律法を守ることによって救われると思って、キリストの訪れの時を知ることが出来ず、イエス様を十字架につけました。それによって世界に福音を伝える使命は、クリスチャンに与えられています。
このことはユダヤ人をはじめ、すべての人が自分の努力によらず、神様の恵みによって救われると、告げているのです。そして、今ユダヤ人がこの福音に気付くときが来ています。
1948年5月14日から、70年目の、今年5月14日に、トランプ大統領がテルアビブの大使館をエルサレムに移しました。これは世界がエルサレムをイスラエルの首都と認めた初め となります。そのためこれに反対する、パレスチナ人のデモが続き多くの死者が出ました。しかし、この流れは変わりません。
それは、この上に神様の約束があるからです。
3000年の昔、ダビデ王がエルサレムを首都としてから、今日まで、エルサレムはイスラエルの首都です。そして、これから後も永遠に首都です。ハレルヤ。
『では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。』(ロマ8:11)