『すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛を持ってあらかじめ定めておられたのです。』(エペソ1:4-5)
聖書によれば、「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。」(創世記6:5)とあります。それで神様は、ノアの家族だけを残し、洪水でみな滅ぼされました。
しかし、神様はノアの礼拝によって「わたしは、決して再び人のゆえに、この地をのろうことをすまい。人の心の思い計ることは、初めから悪であるからだ。わたしは、決して再び、わたしがしたように、すべての生き物を打ち滅ぼすことはすまい。と告げています。今私たちが生かされているのは、神様の恵みと憐れみによるのです。
そればかりか、エペソ書一章三節には「…神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福を持って私たちを祝福してくださいました。」とあります。では、天にあるすべての霊的祝福を自分のものとするために必要なことは何でしょうか。これが今日の中心テーマです。
聖書は「神はキリストにおいて、」と告げています。私たちはキリストにおいて、解放され、いやされ、傷のない者とされ、天にあるすべての霊的祝福に満たされていくのです。
今日の聖句には「私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛を持ってあらかじめ定めておられたのです。」とあります。そして第二コリント五章十七節には、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られたものです。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」とあります。私たちはみことばにより、既にキリストにおいて、聖く、しみも、傷もない神の子とされているのです。
私たちがイエス様を信じて聖くなったので、救われたのではありません。私たちがイエス様を信じたので救われたのです。
これは一方的な神様のみことばによる救いです。私たちは、 ただ、イエス様において、神様の恵みにより救われたのです。これが行いによらず、信仰による救いです。ハレルヤ。
『わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。』(ヨハネ15:12)
兵庫川西グレースチャーチ 殿山憲一師