『そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊と御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。』(Ⅰコリント2:4ー5)
私たちが神様を知り、イエス・キリストを救い主と信じたのは理性や知識によったのではありません。人の理性や知識は感覚的なものです。目で見、耳で聞き、鼻で匂いをかぎ、口で味わい、手で触れて得る感覚的な知識では物質的な世界以外を知ることはできません。霊の世界は感覚的な知識によって知ることはできません。
霊の世界は聖霊様によって啓示されなければ知ることはできません。聖書は「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です。』と言うことはできません。」(Ⅰコリント12:3)、また「イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。」(Ⅰヨハネ4:3)と言っています。
ですから、聖霊様の働きがなければイエス様を信じることはできません。聖霊様の働きがなければ天の父なる神様を悟ることもできないし、永遠のいのちを得ることもできません。
それで、伝道には祈りが必要となります。「聖霊様、私たち家族の心を感動させてください。また、私が出会う人々の中に働いてください。私の口を通してみことばが語られるとき、啓示の霊感と力によって人々の心が変えられ、罪が示されて心砕かれ、悔い改めるようにしてください。」
私たちは理論と知識によってイエス様を信じたのではなく、聖霊様が私たちの心に働かれて、悔い改めさせられたのです。
私たちはイエス様を目で見たこともなく、その声を耳で聞いたこともありません。しかし、聖霊様の啓示によってイエス様を知らされ、このお方に生涯を委ねることができ、永遠のいのちを得ることができたのです。
ですから、聖霊様の啓示的な働きが、現わされるように祈らなければなりません。聖霊様は私たちを宮として住んでおらます。それで、私たちは聖霊様が私たちを通して溢れ出て、人々に働いてくださるように祈り、また、私たちが救いの道具として用いられるよう祈りましょう。ハレルヤ。アーメン。
『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。』(使徒2:17‐18)