『すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛を持ってあらかじめ定めておられたのです。』(エペソ1:4-5)
今日のみ言葉はすばらしいです。人間はみな神様の子どもとされるために造られていると言うのです。聖書の巻頭に「初めに神が天と地を創造した。」とあります。この目的は、神様が神の子どもを造るためでした。
創世記2章7節に「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は生きものとなった。」とあります。このいのちの息が、イエス
様の霊です。
創世記2章17節に「しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」とありますが、アダムとエバは善悪の知識の木の実を取って食べました。それで、キリストの霊は彼らから離れてしまったのです。エペソ2章1節に「あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、」とあります。
アダムの罪を継承し、死の中に閉じ込められている人類の、いのちの回復が聖書の目的です。「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(Ⅰヨハネ4:10)とあるとおりです。
イエス様は「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」と言って、私たちのため、十字架の死を受け入れてくださいました。
そして、復活の後「イエスはもう一度、彼らに言われた。『平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。』そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。』」(ヨハネ20:21-22)人は、ここで創世記2章7節に帰ることが出来、「人は生きものとなった。」のです。
このことを本当に理解するならば、福音は大きな力を待って、実を結び広がり続けていくでしょう。アーメン。
『聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。』(エペソ1:14)