『主は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ。」と仰せられた。彼は「はい。ここにおります。」と答えた。』(出エジプト3:4)
モーセは若き日に神様からの召命を受け、イスラエルの民をエジプトの奴隷から解放するため、偉大な計画を立てて失敗しました。彼は追われる者として40年が過ぎ、今は夢も希望も無く80歳となり人生の終局を迎えていました。
荒野に生えている柴は何の役にも立たないモーセの象徴のようです。しかし、その柴が燃えているのですが、燃え尽きないのです。不思議に思ってモーセが近づいた時に、神様からの呼びかけがありました。
「神は仰せられた。『ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。』」
モーセに神様の召命はありましたが、すべて自分の考えで行動していました。成功すれば自分の栄光であり、神様の栄光にはなりません。しかし、神様から遠く離れて走るモーセを神様は見ておられ、モーセに声をかけられたのです。
イスラエルでくつを脱いで人に渡すことは、自分の権利を放棄する ことを表します。モーセはくつを脱いで自分の権利を放棄しました。それで神様は夢も希望も失い、人生の終局に至っているモーセを使い、イスラエルの民をエジプトから解放する一大事業をなさいました。まことに、「神の賜物と召命とは変わることがありません。」(ロマ11:29)とあるとおりです。
私たちにもイエス様からの召命があるのです。「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、…」(ヨハネ11:12)とあるとおりです。
いま自分の立っている環境を見てつぶやくことを止めましょう。天の父はすべてをご存じだからです。私たちは天の父が完全であるように、私たちも完全なものとなりましょう。そして、人の罪を攻める者ではなく、赦すものとなりましょう。そうすれば、心も肉体も健康になれます。ハレルヤ。アーメン。
『しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。』(マタイ5:44)