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執筆者の写真クリスチャン親和会

聖日礼拝メッセージ(2018/1/14)


『私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。』(ホセア6:3)

 祭司たちは悔い改めの祈りをしましたが、それは心と行いの伴わないものでした。王が次々暗殺され国内は無政府状態となり、周辺国は強く脅威にさらされている。混乱の中にある北イスラエルでは、創造主なる神様への礼拝は形式的となり、かえって偶像を拝み、頼っていました。

 この祈祷文も、形式的な儀式として祭司たちは用いたのではないでしょうか。偶像礼拝を心から悔い改めることなく、儀式をすれば災いはそれるだろうというような不誠実な態度だったかもしれません。

 私たちは神様が内に住まわれる神殿です。この「神殿」は神様と交わる至聖所を意味します。神様が近くにおられることは、私にとって喜びですが、神様に対して後ろめたいことが自分にあるときは恐れ、神様の前に出で行くことをためらいます。ただ習慣として祈ったり礼拝したりしまうこともありました。

 しかし、聖霊様は私たちの心をさばくために内側におられるでしょうか。もちろん、隠れた罪を示されることもあります。しかし、私たちが神様と共に居続けられるように助けてくださる方です。「人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。(ローマ8:27)」

 イスラエルに対して、神様はどんな方だったでしょうか。悔い改めて神様に立ち返るなら許し、恵みを与えて下さるお方です。ヨシュアやダビデはいつも静まり神様と交わっていました。みことばを口ずさみ、神様を思い、褒めたたえました。彼らの人生は勝利者として語り継がれています。

 私たちは内側に弱さ、古い性質を覚えることもあるかもしれません。しかし、自分自身や心を隠すのではなく、主の血しおにより聖められることを求めましょう。神様は私たちが心を明け渡すことを喜ばれ、応えて下さる方です。聖められた神様の神殿として、神様といつも交わる一年となりますように。

『神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。(詩篇139:23〜24)』

(文責:朋子)


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