『ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。』(Ⅱコリント4:16)
驚くばかりのスピードで世界は変化し、インターネットの知識がなければ、今の時代はついて行くことができません。いずれ、ピットコインがドルを凌ぐ時代が来そうです。そして、気が付けば、ツイッターで一日が過ぎています。このような中で、夢や希望を持つことが難しくなりました。
しかし、聖書は「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。」(使徒2:17-18)と告げています。
そして今が終わりの時です。神様はこのような時、イエス様を信じる人々に、聖霊様を注いでくださいます。それで7節で、
「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」と言っています。
この激しく変わる世の中で、私たちの外なる人は衰えても、天と地を創られた神様の霊は私たちの内にあって、日々新しく輝きを増しています。
ですから、すべての人々が夢も希望もないと言う時も、神様の霊によって、私たちは夢と希望を持てるのです。それで、聖書はこの良い知らせを、「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」と命じています。
世の終わりにあって、人類と全被造物の救いは、この福音にかかっているからです。そして、ここに希望があるのです。
それで、今日の聖句に続いて、聖書は「今の時の軽い患難は、私たちの内に働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。」と約束しています。
私たちが心に持っている希望や喜びは、必ず外に現れてくるものです。その輝きは人々を引き寄せる魅力となります。あなたの内なる霊の絶大な力によって、人々に救いの実証を仕様ではありませんか。ハレルヤ。アーメン。
『私たちは、見えるものではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。』(Ⅱコリント4:18)