『私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主 イエスは渡される夜、パンをとり、感謝をささげて後、それを裂き、こう 言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わ たしを覚えて、これを行いなさい。」』(Ⅰコリント11:23-24)
今日は聖餐式があります。先ずは聖餐の意義を学びましょう。聖餐式は、イエス様が十字架前夜、弟子と共に最後の過ぎ越の 晩餐で定めたものです。教会はその定めに従って、パンと杯により、キリストの贖罪の死を示し、陪餐者がキリストのからだと血の祝福にあずかるものとしてきました。洗礼と共に新約聖書が命じる二つの聖礼典の一つです。
また、その名称はたくさんありますが、その代表的なものはカトリック教会のミサであり、プロテスタントの聖餐式です。
今日の聖句にあるように、イエス様は過ぎ越し祭りの日に、弟子と最後の晩餐をしました。かつて過ぎ越の羊が、イスラエルをエジプトから救ったように、イエスキリストの死により罪か らの救出と言う、新しい出エジプトを示しているのです。 「わたしの肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。」(ヨハネ6:54)とヨハネは聖餐の秘儀を示します。
また、「このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。」(Ⅰコリ11:26)とあるように、聖餐式は告げ知らせる、無言の説教です。テーマは「キリストの死」説教者は陪餐者自身です。聖餐は見えるみことばとしての、偉大な沈黙による宣教なのです。
今日の聖句の晩餐は主の晩餐と言われます。これはイエス様と弟子の最後の晩餐です。しかし考えれば、聖餐式ではこれが最初の主の晩餐となり、これが聖餐式として、今日まで続くことになります。とすれば今日の聖句が晩餐の第一回目の聖餐式となります。
正教会では聖餐式を聖体礼儀と言い、これについて、実際のパンとぶどう酒でありながら、同時にキリストの体と血に変わり、これを聖変化と言っています。これは人の理解を超えたところで起こる機密に属すること、と告げています。聖餐式をもっと大切にしましょう。アーメン。
『わたしは、天から下ってきた生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。』 (ヨハネ6:51)