『渡り終わると、エリヤはエリシャに言った。「わたしはあなたのために 何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に、求めなさい。」するとエリシャは、「では、あなたの霊の、二つの分け前が私の ものになりますように。」と言った。』(Ⅱ列王記2:9)
今日はエリヤが竜巻に乗って、天に召された奇跡のお話です。 弟子のエリシャは師のエリヤと共にヨルダン川を渡りました。 聖句はその時のものです。
「渡り終わると、」と、ヨルダン川を渡ることが焦点になっています。今日はこれに目を止めて見ましょう。
モーセはヨルダン川を渡ることができず。自分の代わりに、ヌンの子ホセアの名をヨシュアと改めさせ、ヨルダン川を渡らせました。聖書のヨシュア記は、その記録です。
ヨルダン川を渡ることは、バプテスマを現します。これは、自分が死に、神様と一つになることを示します。ホセアの名をヨシュアと改めたのはそのよい例です。ヨシュアとはイエス様 の名前だからです。モーセがヨルダン川を渡れなかったのは、律法で自分の義を立ては、神様と一つに成れないのです。
イエス様も公の仕事を始める前にヨルダン川で、バプテスマを受けました。「すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。」とあります。
キリスト信仰の神秘は死といのちです。私たちがキリストの中で死ぬとき、キリストの中でよみがえるのです。古い人が死ぬとき、私たちの新しい人がよみがえるのです。
ロマ書6章4節に「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。」
このようにエリヤとエリシャがヨルダン川を渡ったときに、奇跡が現れました。エリヤが竜巻によって天に上っていき、エリヤの外套を取ったエリシャは、エリヤよりも大きな力を神様から与えられてヨルダン川を渡っていったのです。
エリヤのことばに従ったエリシャのように、私達もイエス様のみことばに従い、聖霊様に満たされましょう。そうすれば大きな奇跡を体験することができるのです。ハレルヤ。
『まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。』 (ヨハネ14:12)