『「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもより多いからだ。」と主は仰せられる。』(イザヤ54:1)
今日の聖句は、夫のある女の子どもより、子を産まない不妊の女の子どもの方が多いと告げています。しかもこの聖句は、イザヤ53章に続いています。イザヤ53章にはイエス様による十字架の贖いが記されているのす。この十字架の贖いによって、人は新しく生まれることが可能となりました。
イエス様の贖いの前には、人が霊的に新しく生まれることは不可能でした。たしかに、預言者に神様の霊が下りますが、用事が済めば離れてしまいます。神様の霊が人間の中に留まることはありませんでした。
イエス様は「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)と告げられました。
その通り、イエス様により道が開かれ、イエス様を信じる者は、だれでも新しく生まれることができるのです。これは画期的なことであり、驚くべきことです。
イエス様は、「まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。しかも、天の御国の一番小さい者でも、彼より偉大です。」(マタイ11:11)と、お告げになっています。
子どもが生まれれば、喜んでお祝いをします。しかしいま、神様の子どもが生まれるのです。しかも大勢です。喜び感謝せずにおられましょうか。それで2節では、住まいの場所を広げよ。と告げているのです。
イエス様は、「バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。」(マタイ11:12)と告げます。
私たちも伝道を通して、神の子を生みましょう。なぜなら、このことが、地球が造られた第一番の目的だからです。歴史は、すべてはこの一点に向かって展開しているのです。
このことを知り、この目的のために生きるならば、私たちの人生は、聖霊の力に満たされるでしょう。ハレルヤ。
『あなたを攻めるために造られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、さばきの時、あなたを責めたてるどんな舌でも、あなたはそれを罪に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。』(イザヤ54:17)