『私たちは、キリストの死に与るバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって、死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをす
るためです。』(ロマ6:4)
私たちはイエス様を信じクリスチャンとなりました。そして、この律法の世界から解放されています。その保証として、私たちは「アバ、父。」と呼ぶ御霊を与えられているのです。
いまクリスチャンは恵みの中にいます。しかし、残念なことに多くの神の子たちが、新しい被造物となったにもかかわらず、長い間の肉に属する生活のために、自分が霊的な存在であることを悟らないで抑圧された人生を送っているのです。
今日聖書は「私たちは、キリストの死に与るバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。」と告げています。私たちはイエス様を信じてバプテスマを受けたとき、一度この世界に対して、死んだものだと知らなければなりません。
私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。
死んでしまった者は、罪から解放されているのです。もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。
キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。このように、私たちも罪に対しては死んだものであり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きたものだと思いましょう。そして、新しく造られた者として生きることが大切です。
聖書は「心の一新によって自分を変えなさい。」と言っています。自分のために生きてきた人生から、イエス様に倣って、人々のために生きる者となりましょう。イエス様は「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」と仰いました。先ずやってみましょう。そうすればできるのです。
それは、私たちが新しく造られた被造物であり、神様の子どもだからです。私たちの必要については、神様、すなわち天の父が心配してくださいます。ハレルヤ。アーメン。
『信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、 わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。』(マルコ16:17-18)