『キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる。と書いています。』(ロマ10:4-5)
先週に続き、律法についてです。モーセは、律法による義を行う人は、その義によって生きる。と書いています。それでは、その義によって生きる前は、死んでいたことになります。
その死の真相は、創世記2章に、「神である主は、人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。』」そして、アダムは、善悪の知識の木の実を取って食べ、死んでいるのです。
アダムの死は、アダムのうちに在った、神様の霊が、アダムから離れてしまったことによります。ですから、「生きる。」とは、神様の霊が、また、人の中に入ることを言うのです。
律 法について聖書は、「律法の全体は、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という一語をもって全うされるのです。」(ガラテ5:14)と告げています。律法の基本が愛と言うのならば、神様の霊が人から離れてしまっては、人間が心から人を愛することはできません。それは、神が愛だからです。アダムの失敗により人間が律法を守ることは不可能となりました。
それで、律法を成就するためには、キリストの出現が必要となりました。イエス様は律法を完全に守り。律法の義を完成し。その成果をイエス・キリストを信じる人に、与えてくださることにより、信仰による義を完成されました。今は、イエス様を信じる人は誰でも義と認められるのです。
その証拠として御霊が与えられました。パウロはガラテヤ書で、「あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰を持って聞いたからですか。」と叫んでいます。
人が人として生きるためには、イエス・キリストを信じて、神様の霊を受ける他に道はありません。神様が創世の初めから約束された救いが、イエス様によって完成されました。そして、私たちクリスチャンは神様のかたちに創造されているのです。
神様の「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」の御声が聞こえるようです。ハレルヤ。アーメン。
『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。』(ロマ10:9)