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執筆者の写真クリスチャン親和会

聖日礼拝メッセージ(2017/8/13)


『わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりせん。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。』(マタイ5:17)

 モーセを通して与えられた律法には、「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」とあります。聖書は、「律法によって神の前に義と認められる者は、ひとりもいないからです。」と告げています。

 イエス様はどのようにして律法を成就したのでしょうか。 地上でモーセの律法を完全に守られたお方は、イエス様おひとりです。そのお方が、私たちの身代わりとして、律法ののろいを受けて十字架にかかり、私たちを律法ののろいから完全に贖い出してくださいました。

 律法による罪ののろいは死です。イエス様は十字架の死によって、律法の代価を完全に支払ってくださいました。これで モーセの律法は完全に完成されたことになります。

 このことについて、「キリストが律法を終わらせられたので、 信じる人はみな義と認められるのです。」(ロマ10:4)とあります。モーセの律法はイエス様の十字架までであり、いまはキリストの救いの律法が輝いています。

 モーセの律法は、行いを重視しています。しかしイエス様はそれを心の思いにまで高めて、「兄弟に向かって腹を立てるものは、だれでもさばきを受けなければなりません。」と言われました。このことは、イエス様を通して与えられる、聖霊様によってできるのです。

 パウロはこのことについて、「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し御霊は生かすからです。もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、まして御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。」(Ⅱコリント3:6-8)と歓喜しています。

 私たちは、行いによる律法の義ではなく、イエス様を信じる信仰の義によって、「アバ、父。」と呼ばわる神の霊を注がれています。 「私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。」(ロマ8:16)ハレルヤ。

『割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。』(ガラテヤ6:15)


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