『そういうわけですから、兄弟たち。私は、主のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。』(ロマ12:1)
今日の聖句は礼拝が如何にあるべきかを、深く考えさせます。かつてイスラエルの民はエジプトの奴隷からは解放されました。しかし、神様の命令に従うことができず。荒野で滅びました。
新約聖書は、人間はこの世界の支配者、悪魔の奴隷だと告げています。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)と言います。それでは、私たちは何に支配され、奴隷とされているのでしょう。
第一に、学歴の奴隷となっている人が多いのです。よい学歴を持てば、幸せになれると考えています。そして、その通りになっています。
第二に、経済の奴隷です。お金があれば幸せになれると思っているのです。
第三に、体力の奴隷です。病気を恐れ、健康食品ブームです。
すべての人がこの三つの条件に支配され、未来を描いています。そして、自分の描いた通りの人生となりす。この条件を無視し、未来を描く人は、愚かな人と言われます。
しかし、聖書は、そのような私たちに、支配している想いを捨て、神様のみことばの中に生きよ。と教えています。
第一は「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は、だれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。」(ヤコブ1:5)Ⅱ歴代一章からソロモン王の祈りを学びましょう。
第二は「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富を持って、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。」(ピリピ4:19)を自分のものとしましょう。
第三は「…キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(Ⅰペテロ2:24)を受け入れましょう。
聖書は「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ロマ10:17)と告げています。自分に言い聞かせましょう。ハレルヤ。
『あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富むものとなるためです。』(Ⅱコリント8:9)