『ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。』
(Ⅰペテロ1:18-19)
Ⅰペテロ書は、異邦人クリスチャンに宛てたものです。私たち日本人にも当てはまるのではないでしょうか。私たちは何が罪なのかも知ることがなく、銀や金が私たちの力であり救いでした。
こん日も金さえあれば何でも買えると思っている人は多いのです。そして、そのお金を得るためには手段を選ばない世界になっています。聖書は「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ16:26)と告げています。
今日聖句は、「あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から 救い出されたのは、銀や金によらず、傷もなく汚れもない子羊のような キリストの、尊い血によったのです。」と告げているのです。
神様は人を愛されますが、罪を憎みます。そして、罪は、死によってでなければ解決されません。人は、善悪の知識の実を食べて霊的に死んでいるので、罪を贖うことはできないからです。
それで、傷もなく汚れもない、キリストの尊い血が必要だったのです。いのちは血にあるからです。聖書に、「それで、律法よれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎだすことがなければ、罪の赦しはないのです。」(へブル9:22)と宣言しています。
イエス様の血はイエス様のいのちです。その尊い血が、私たちをすべての罪から贖い、死からいのちに移してくださいました。イエス様の血はイエス様のいのちであり霊です。そして、イエス様のいのちである、イエス様の霊は、いま私たちの中にインマヌエルとして、共に居てくださいます。
イエス様は、「わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。」(ヨハネ17:23)と祈られました。
そしてこの祈りは、イエス様の十字架を通して実現されました。そのしるしとして、ペンテコステの日に天から聖霊様が注がれたのです。 いま、イエス様の尊い血は、人々を罪の奴隷から解放する力であり、 あらゆる悩み苦しみから解き放つ力です。ハレルヤ。
『まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。』(ヨハネ14:12)