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執筆者の写真クリスチャン親和会

聖日礼拝メッセージ(2017/5/21)


『信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。』(へブル11:6)

 聖書は、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」と言っています。それで、今日は信仰についての学びです。            

 信仰とは、まず第一に、神様の語られたみことばを信じることです。このように聞きますと簡単なことです。しかし、これができないのです。私たちには理性があって、理性に従って信じるからです。それで常識意外なことは、聖書のみことばでも、信じることはできないのです。

 ペテロがイエス様に「あなたは、生ける神の子キリストです。」と告白したとき、イエス様は喜ばれ、「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です。」(マタイ16:17)と告げています。

 自分の身内すらイエス様をキリストと信じていないのです。このとき、共に旅をしている弟子が、イエス様を神の子キリストと言うことは、理性に反することです。確かに神様の助けによって、信じたのです。

 では、私たちが神様の助けによって信じるために、どうすればよいのでしょうか。聖書は、「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ロマ10:17)と告げています。聖書のみことばを声にして、何度も読みましょう。そうすれば神様の助けによって、私たちの心に平安が来ます。

 また信仰について、イエス様は、「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」(マルコ9:23)と宣言されています。私たちに必要なのは、このような信仰ではありませんか。

 へブル書十一章一節に、「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」と信仰の本質を述べています。   

 信仰とは、永遠に変わらない、神様のみことばを実態として保証し、  それをただの希望としてでなく、すでに現実として見ているかのように確信することです。これが無から有を生み出す信仰です。ハレルヤ。

 世に勝つ者とはだれでしょう。それは、イエス様を神の御子と信じる者ではありませんか。イエス様は、そのクリスチャンを幸いな者と保証されているのです。私たちに必要なみことばは、聖書の中に輝いています。そのみことばを実態として保証しましょう。アーメン。

『あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。』(ヨハネ15:16)


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