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執筆者の写真クリスチャン親和会

聖日礼拝メッセージ(2017/4/30)


『まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、「ここからあそこに移れ。」と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたに出来ないことはありません。』(マタイ17:20)

 信仰には人間的な信仰と神様による奇跡的な信仰があります。 人間的な信仰がなければ、お金があっても銀行には預けません。また  運転手を信じなければバスに乗ることはありません。人間的な信仰は 見て信じる理性的な信仰です。この代表はトマスです。

 彼は、復活のイエス様を見た弟子が「私たちは主を見た。」と言ったのを「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れなければ、決して信じません。」と言いました。これが人間的な信仰です。

 私たちが奇跡を信じることは難しいことです。しかし、現実にイエス様 は復活して生きているのです。神様のわざはこの世の法則や規則に 支配されてはいません。すべてに対して自由です。

 では、神様による奇跡的な信仰はどうして体験できるのでしょうか。聖書は、「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみ ことばによるのです。」(ロマ10:17)と告げています。

 もう一つの神様が下さる奇跡的な信仰は、みことばを聞き、読んで、 そのみことばを悟り祈るとき、私たちの理性を超えて心の中に起こされ る信仰です。この信仰を私たちが持つとき、私たちの生活の中に神様 のいのちの働きが起こされてくるのです。

 この信仰は神様のみ言葉と聖霊様が、私たちの心の中に奇跡的に 起こしてくださるものです。そのために私たちにできることは、神様のみ ことばを聞き、読み、祈ることだけです。そして、この世の理性的信仰 に同調しないことです。

 この信仰が私たちの心に起こされるなら、それははっきりと知ることが できます。そして、私たちにはこの信仰が必要なのです。困難なことに ぶつかるとき、新しい計画の成就を願うとき、この信仰が必要です。 この神様の信仰が与えられるならば、不可能なことはありません。

 聖書に「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもで きるのです。」(マルコ9:23)とあります。この信仰を得て日々の生活の 中で勝利するため、絶えずみことばを聞き、読み、そして祈りましょう。 そのとき目に見えず。耳に聞こえず。手に触れるものがなくても大胆に 信じて前進することができるのです。ハレルヤ。アーメン。

『トマスは答えてイエスに言った。「私の主。わたしの神。」イエスは彼 に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか見ずに信じ る者は幸いです。」』(ヨハネ20:28-29)


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