『キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。』(ガラテヤ3:13-14)
アブラハムは信仰の父と言われています。私たちがイエス・キリストを信じるとき、律法の呪いから救われ、また、アブラハムの子孫とされ、彼に与えられた約束を相続するものとなるのです。それでは、アブラハムに与えられた約束は何でしょうか。
第一に、神様の選びにあずかる祝福です。
神様はアブラハムを選び、呼び出して、彼を信仰の父とされました。 私たちも、イエス様を救い主と信じ、イエス様によって神様をアバ父と呼ぶものにされたのです。律法を守ったからではなく、神様が選び、
呼び出されたからです。
第二は、長寿と健康の祝福です。創世記二十五章七節と八節に、「アブラハムの一生の年は、175年であった。アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。」とあります。神様はアブラハムに長寿の祝福を与えられたのです。それゆえ、イエス様を信じて、アブラハムの子孫とされた私たちも健康と長寿の祝福が約束されているのです。
第三に、豊かな生活の祝福です。
創世記二十四章一節に、「アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。」とあります。
また、アブラハムは「祝福の源。」になると言われています。それゆえ、 アブラハムの子孫とされている私たちも、生活においてあらゆる面で 祝福され、他の人に分け与える者とされるのです。
私たちが、自分を満たすためだけに祝福を受けようとするなら、それは間違った信仰です。神様から受けた祝福を隣人に分け与えるためです。福音を宣べ伝え、神の御国のために用いるのです。そのために、私たちの生活の全てをささげなければならないのです。
第四に、信仰によって約束の御霊を受けます。
イエス様の十字架により、神様との隔ての壁を打ちこわし、神様と和解をして平和を実現し、両者を一つのからだとしてくださいました。クリスチャンは全く新しい被造物なのです。ハレルヤ。アーメン。
『また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』(マタイ28:20)