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執筆者の写真クリスチャン親和会

聖日礼拝メッセージ(2017/4/16)


『その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。』(マタイ16:21)

 今日はイースター、復活祭です。この日は、イエス様が死を打ち破ってよみがえられた記念日です。特に今年は、カトリック、正教会、プロテスタント、ユダヤ教が一緒の日に礼拝を守っています。珍しい年となりました。今日礼拝を守られる人は、恵まれています。

 今日16章の聖句は、「あなたは、生ける神の子キリストです。」との、イエス様に対するペテロの告白に続くものです。兄弟もキリストと認めないのに、ペテロがキリストと認めたことは、イエス様の喜びでした。  

 しかし、死からのよみがえりについては、だれも認めませんでした。これは昔も今も一緒です。特に弟子たちは、何度もイエス様から聞いていたのですが、まことに、「聞いて聞かず。見て見ず。」のありさまでした。特に、リーダーとして選ばれた、ペテロを頭とする11人の弟子たちも信じることができませんでした。

 聖書は、「イエスは、その11人が食卓に着いているところに現れて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。」(マルコ16:14)と記しています。

 キリスト教は、教祖自身が、人々の罪の身代わりとして十字架に着き、死んでのち槍で刺され、墓に葬られ、三日目によみがえられたことによって始まりました。常識では信じることができないことです。それで、聖書は、「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です。』と言うことはできません。」(Ⅰコリント12:3)と告げているのです。

 これは、見えるところに縛られて、希望を失い、死んでいる人々を、生かすことのできる力です。みことばは「神の国はことばにはなく、力にあるのです。」(Ⅰコリント4:20)と告げます。

 この世界は、見える世界であり。見えない世界を信じることは難しいのです。しかし聖書は見えない世界を示し、信じて救われよ。と告げています。それは、イエス・キリストが私の罪の身代わりとして、十字架で死に、三日目によみがえった。と信じて告白すれば、だれでも救われるからです。

 そして、天と地を創造されたお方。神様に対して、創造者と被造物の関係を離れ、イエス様を信じた人は、神様を、天の父と呼ぶ親と子の関係になるのです。ハレルヤ。アーメン。

『イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して 渇くことがありません。」』(ヨハネ6:35)


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