『それから、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行って、イエスの回りに全部隊を集めた。そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。万歳。」』(マタイ27:27-29)
イエス様は、ユダヤ議会で、宗教裁判により死刑を宣告され、ローマ総督によって政治裁判にかけられ、十字架を宣告されました。裁判の中で、イエス様に総督ピラトが、「あなたはユダヤ人の王ですか。」と尋ね、イエス様は、「そのとおりです。」と答えています。 兵士たちはその言葉によって、王であるなら王らしくもてなしてやろうというのです。まことの王である方が、名もなき兵卒に愚弄され、嘲弄されるのです。これらのすべては、私たちの罪の贖いの代価です。 マルコ15章によると、イエス様が十字架につけられたのは、午前9時とあります。そのとき、イエス様といっしょに、ふたりの強盗が、ひとりは右に、ひとりは左につけられた。道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」 同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様なら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたらわれわれは信じるから。」イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。とあります。イスラエル人は、力の中に神を求めましたが、イエス様は犠牲の愛の中に神を示されました。 三時ごろ、イエス様は大声で、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」と叫ばれました。イエス様は、「わが神。」と言われたことは一度もありません。神様のことはいつも、「父。」と呼んでいました。実に、「神の子。」だったからです。 イエス様は呪われて、霊の死を受けられました。神様から、父と子の関係を絶たれ、創造者と被造物の関係となったのです。しかし、ルカ23章には、「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。とあります。イエス様は十字架の上で、霊の死から復活したことになります。そして、肉体の死を受け入れられました。 「すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。」イエス様の犠牲によって、神様と人間を隔てる幕が裂かれ、神様に近づく道が開かれたのです。ハレルヤ。アーメン。
『百人隊長および彼といっしょにイエスの見張りをしていた人々は、…「この方はまことに神の子であった。」と言った。』(マタイ27:54)
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